自分にとっての存在

自分にとって居心地のいい場所を考えてみた。
いろいろと、細かく挙げることもできるけれど、
極論を言ってしまえば、誰かの特別であることだと思う。
誰しも少しは心当たりがあるんじゃないだろうか。

自分は、それに加えて自由が追加される。
特別で自由。
他人に枠をきめられたくないけど、他人に評価されるのは好き。
自分の小、中と学校生活を振り返ってみると、世間で言う
優等生というものに当てはまるんじゃないかと思う。
けれど、純粋な優等生とは思えないんだよね。
いや、優等生かどうかは問題ではないのかもしれない。
自分の本質なのか、どうかは知らないけれど、
小、中、高と最低一人、先生に「そんな子とは思わなかった」といわれる。
実際、先生の考えとは違う事をやっているわけだから、それぞれの先生が
どういう意味で言ったのかは分からない。
けれど、そう言われると自分はいつもこう思っていた。
いつもあなたと同じ考えなわけがないでしょう、と。
一番面倒がなく、結果的にいい方法を自分が選んでいるだけ。
だけど、時には譲れないものもある。
ばかばかしくて、従う気になれないものもある。
そんな時は牙をむいて、吠えてみる。
中二病の一種で片づけられるかもしれないなあ。
それを言ったら、自分は今も中二病で、しかも小学校位からということになる。

書きたいことがぶれてきたけれど、改めて考えてみると当たり前のことを
言いたいだけの気がしてきた。
特別であれば、存在価値は高く、
並みの扱いであれば、存在するだけ。
触れさえしないなら、価値がない。

交歓会で、哲学を学んでいる人が、
今まで分かっていたと思っていたこともわからなくなってきた。
わかることが少なくなってきたって言っていたけれど、
今まさしくそんな状態です。
自分のことがわからなくなってきた。

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